はすくらつれづれ

日々色々鬱々悶々としていることの吐き出し口

"普通って何?"

数年前好きだったアニメの主題歌のCDが久々に出てきた。懐かしい気持ちになりながら聴いていると、ある歌詞が耳に残る。

"普通って何?"

 

この曲をよく聴いていた頃は、毎日のようにそんなことを考えていた気がする。いくら考えても分からなくて、風呂場で泣きながら逆上せた夜もあった。

 

いつの間にかすっかり悩まなくなっていたが、何がきっかけだったんだろうか。

 

そもそも"普通"とは世間一般的な考え方や傾向の事である。

数学的・統計学的に平均値≒普通を表す値が出せるもの(寿命や生産額など)もあるが、例えば「普通に大人しくしていなさい」という言葉を耳にしたとき、その捉え方は様々だろう。

他にも「男らしく、女らしく、子供らしくしなさい」という言葉もよく耳にする。これがきっかけで私は"普通"についてネチネチと考えるようになってしまった。これも先の例と一緒で、受け取る側によって男らしさ、女らしさ、子供らしさは違う。

 

当時の私は"普通"について納得出来る答えを用意出来なかった。だから「これが私の普通だから、大人の言うことなんて気にするもんか」と反抗することで、何とか気持ちに折り合いをつけた。

 

それから色々な人や話に触れて、「"普通"はひとりひとり違う」という所までは自分なりの答えを導けた。

つい最近、現代文の授業で耳にしたニーチェ永遠回帰の話にも似通ったものを感じた。

 

正直先生の解説がよく分からなくて勝手な解釈になるのだが、ニーチェは「自分の人生は自分だけのもので、他人と比べる意味がない。それを受け入れた時、自分の人生が前より良いものに感じられるようになる」という事を言いたかったんだろうなと思う。

日本で言うところの「よそはよそ、うちはうち」「隣の芝生は青い」「みんなちがってみんないい」に近いはずだ。

 

 

ここでニーチェの説に従って"普通"について考えてみると、「人それぞれ"普通"は違い、それぞれの"普通"に干渉することは無意味である。」となる。

 

ここで私は少し違和感を感じ、ある文章の一節を思い出した。

「人間はポリス的動物である」

 

人間がポリス的な動物であるためにはある程度のルールが必要であり、そのルールは人々がそれぞれ持つ"普通"をすり合わせて出来ているものもあるのではないか、と考えた。

 

例えば、ゴミ捨ての曜日や場所にルールがあるとか、そういうことだ。

 

つまり"普通"という概念は、人間がポリス的動物であるために、社会で生き抜くために必要不可欠なものなのかもしれない。

 

考えれば考えるほど"普通"が複雑で奥深いものに思えてくる。眠くなってきてしまったので、今日はこの辺で考えるのをやめた。

 

 

"普通って何?"

と聞かれた時、将来の私は何を語るのだろう。